3月9日、さいたま市内の埼佛会館で、3.11浦和地裁「死刑」判決60カ年糾弾!狭山第3次再審闘争勝利!3.9集会が開催されました。
60年前の1964年3月11日、浦和地裁・内田武文裁判長は「部落民ならやりかねない」という予断と偏見にもとづき、脅迫状や万年筆などあらゆる物証から石川一雄さんの指紋が一つも検出されていないにもかかわらず、1963年9月4日の第1回公判からわずか半年で12回というスピード裁判で「死刑判決」を下しました。
昨年末、東京高裁・大野勝則裁判長が定年退官し、新たに家令和典裁判長が就任しました。今年2月27日には、第58回の三者協議が行われ、弁護団が要望したプレゼンテーションを4月下旬の三者協議で実施することが決まりました。
集会では小野寺一規埼玉県連書記長の基調報告のあと、特別報告として「袴田巌さんの再審無罪判決に向けて」と題し、袴田巌さんを救援する清水・静岡市民の会事務局長の山崎俊樹さんが講演しました。
その後、石川一雄さんと早智子さんの訴えがあり、今年こそ再審開始を実現することを全体で確認しあいました。